台風の影響で、雨がよく降ります。台風4号の後、関東地方は晴れ上がった夏日だったそうですが、関西地方はどんよりした曇り空、そして今度は台風5号から変わった温帯低気圧が梅雨前線と一体化してまた雨、畑も家の裏も水浸しになってしまいました。
先日のことでした。走り書きの私のメモを見て妻がつくづく言いました。
「やっぱりお義父さんの字に似てるわね。そっくりやわ」
妻は何気なく言ったのでしょうが、私は軽いショックを受けながら「ふうーん、そうかなぁ」ととぼけて答えました。
このブログでも何回か書いていると思うのですが、10年近く前、失業した時から暇に飽かせて筆ペン習字を始めました。最近は始めた当初の勢いはありませんが、退化しない程度には続けています。
確かに筆ペン習字と言っても、どこかに習いに行ったり通信教育を受けたわけではありません。ただ、テキストと筆ペンを買って来て、我流でやっていることですからその成果はしれたものです。
初めのうちはできるだけ毎日30分から1時間ほど続けていたと思います。硬筆はともかく筆ペンとなると普段ほとんど持つ機会がないので、なかなか上達しませんでした。
ともかく数をこなせば少しは上達するだろうと信じて根気よく続けました。最初は筆ペンのカートリッジを消耗させることが目標でした。替えカートリッジの空が3本ほど溜まった頃でしょうか、遅々として上達しなかった文字が少し形になってきたように思えました。
始めた頃の文字と見比べると、自分でもその差がわかりました。また、硬筆にもよい影響があって、珍しく人から褒められることがあったりしました。そうするとうれしくなってますます励むようになります。
しかし、上昇した上達曲線はある時点を境に次第にその速度と角度を弱めていきます。頭打ち感と、同じテキストの繰り返しにだんだん嫌気がさしてくるようになってきました。
基礎を学ばず、我流で練習している限界なんでしょうか。テキストを買い換えてみたり、いろいろ工夫してみるのですが、思う上達は進まず、練習の時間が次第に一日おき、二日おき、三日おきと間隔が空くようになり、いつの間にか1週間2週間と空いてしまうようになりました。
毎日練習しても伸びがなかなか実感できないのに、さぼるとてきめんに字が乱れ荒れるのが自分でわかります。まだしっかり身に付いていない証拠なんでしょうね。
数年前からは、上達できなくても、何とか今まで努力した分だけでも守りたい、現状維持したいと、週1回、30分ほど練習するようにしています。
50歳を過ぎてから習字を始めたのですから、元々自分の字にコンプレックスを持っていました。高校に入ったとき何がうれしかったと言って習字がないことでした。30歳の頃ワープロのデモンストレーションを見たとき、100万円以上したそのマシンが無性に欲しくなりました。
もちろんそんな私の字ですから今までほめられたことはありません。せいぜいお世辞やお愛想に、読みやすい、書き慣れている、優しい字とごくまれに言われたことがある程度です。
私が自分の字を意識しだしたのは、中学生の時だったかもしれません。ある先生が角張った右肩上がりの男性的な文字を板書されていてそれがすごくかっこよく思えました。憧れて、しばらくまねをしました。結局身には付きませんでしたが。
だいたい私の字は母の影響を受けていると思います。文字は母に習いました。母は、格別字が上手い人でもありませんでしたが、基本に忠実な優しい文字を書いていたように思います。
その点、同じ家族でも父の字というのはあまり意識しておりませんでした。父と面と向かって会話することがあまりなかったように、それ以上に、その文字と接する機会がなかったように思います。
ところが父が亡くなって、もう父と接する機会は永遠に絶たれたのに、父の文字と接する機会は急激に増えました。突然と言ってもいいほどの父の死、残された私と妻は、田舎や親戚づきあいのことなど、家の中のいろいろなことを父が書き残してくれたものに頼るしか術がありませんでした。
もちろん、父はそんなに早く自分が死ぬなどとは思っていなかったのですが、割と几帳面だったので、いくつかのノートを残してくれていました。それを私も妻も何度も何度も、ノートの縁がすり切れるくらい出し入れして読み返しました。
父と入れ替わるように我が家に来た妻も父そのものより、父の文字と接した機会の方が多かったと思います。私の文字を見て、父の字と似ていると妻が思ったのにも、常に父の文字の残像が脳裏に残っているからではないかと思います。
父が亡くなって遺品を整理する中に何冊もの手帳が出てきました。古い手帳の日付欄には、癖のある右下がりの小さな文字がびっしり書き込まれていました。
生前はほとんど顧みることがなかった父の日常を、私はその手帳を読むことで再確認しました。農業のことやつきあいのことで参考になることもありましたが、多くはもう会うことができない父への懐かしさゆえだったのかもしれません。
自分覚えの手帳だったからでしょうか、本当に父の文字は読みにくいものでした。はねたような細い線と強烈な右下がりの文字の連なり・・・何度も判読不明の文字に立ち止まらされました。
手帳ですから、記述されていることはその日あったこと、行ったこと、お天気などが中心で感想や感慨は一切ありません。主に仕事、お寺や神社、地元の行事、親戚や近所のつきあい、田んぼのことなどが中心でしたが、時々私や弟に関する記述があると身を乗り出すように読みました。
晩年は母の病のため、職場を早めに退職して母の看病と家のことに専念しました。とくに家事の記述は笑ってしまうような細かなことまで逐一記されていました。
父は大変よく気がついて、よく動く人だったと未だに近所の人たちからも言われるのですが、手帳の記述を読んでいると、母が家事を受け持っていたときよりまめだったのではないかと思えるほどでした。
そんな父の手帳を読み続けていたある日のことでした。私は職場で自分が書いた文字を見て愕然としました。そこには父とそっくりの文字が並んでいるではありませんか。文字こそ大きめですが、ペンとはねたような細い線、右肩下がりの文字の羅列・・・
中学の先生の黒板の字をあれだけまねようとしてもなかなか身に付かなかったのに、なんの意識もしてもいないのに、まるで父が乗り移ったかのように私は父そっくりな字を書いていました。
それからも無意識のうちに父に似た字は顔を出すのですが、私は気づくたびに意識して排除するようにしてきました。そして、ここ数年の習字です。習字のテキストには、文字は多少右肩上がり気味に書くように指導していますし、見本の文字もそうなっているはずです。
それだのに今になっても妻に見抜かれてしまうとは、この十年近い努力よりやはりDNAの記憶の方が強かったと言うことでしょうか。
「父の日」は先週でした。今回Cでありませんが、HORACE SILVER(ホレス・シルバー)の「ソング・フォー・マイ・ファーザー」
この記事へのコメント
cafelamama
下手は下手なりの味があればいいのですが、そういうレベルではありません。この年になっても自筆の手紙を書くのが億劫です。
だから、年賀状で宛名が印刷できるようになると、すぐにプリンターを買いました。
そして、ブラインドタッチもいち早く覚えました。
筆ペン習字、効果がありそうですね。
せめて、自筆の手紙ぐらい書いてみたいものです。
song4u
と言うか、両親の筆跡って、いったいどこに残ってるんだろう?
もう、しばらく見ていない気がします。
先週、『向田邦子の恋文』という本を読みました。
その本の扉には、向田さんの直筆(万年筆です)が装丁されてるんですが、
あの時代の人たちの文字には、何とも言えない色香がありますねえ。
その本を読んで、改めて書き文字の素晴らしさを痛感しました。
何と言えば良いのか、文字から息づかいのようなものが感じ取れたからです。
文字なのに、日常の雰囲気を映し込んだ写真のように感じたからです。
PCの文字フォントが駄目だなどと言うつもりは毛頭ありません。
だけど、直に書いた文字の素晴らしさに少しでも触れてしまうと、あまりにも次元が
違い過ぎて、とても比較の対象にはなり得ない気がします。
どちらも同じ文字だというのに。(笑)
yukky_z
電話番号とかも中々覚えられません^^; 検索やメモリーと言った
ものは人間の脳を退化させるだけですなぁ... 下手でも何でも、
直筆で書かないと進歩しませんよね。
takenoko
字を書くことは大切ですね。私は最近万年筆を使い出しました。
himanaoyaji
ワープロ、パソコンの出現で生活出来てるようなものです。
(筆は無謀なので硬筆の勉強でもしようかな・・・)
駅員3
たいへー
特別に思いがある訳ではありませんが、
段々字が書けなくなっていく様は、結構辛かったですね。
そらへい
こんにちは
私の筆ペン習字もせいぜい署名用です。
一つ一つの文字の輪郭をなぞっているようなもので
複数の文字の組み合わせバランスが必要な手紙など長文には適しません。
年賀状、私もいち早くパソコンで宛名印刷した口なのですが
ここ数年は勇気を出して宛名だけ筆ペン利用するようになりました。
最近は、手書き宛名の方が珍しくなってきましたので、
上手い下手はともかくインパクトはありそうです。
そらへい
こんにちは
確かに両親の筆跡って、普段はあまり目にする機会もありませんね。
とくに母親などは、今はもう何も残っていないのではと思います。
若い頃、一度手紙をもらったのに、その手紙、紛失してしまいました。
今でも非常に残念に思ってます。
「向田邦子の恋文」は確か妹さんが書かれたか編集されたものでしたね。
以前に読んだはずなのですが、具体的な内容は忘れてしまいました。
最近は死語になっているかもしれませんが、
かつては文字に人柄が出るなんて言ったような気もします。
ましてや著名人の文字というのは、独特の味わいがある気がします。
そして皆さん、達筆なのに驚きます。
文字によって文章は構成されるのですが、それによって文意が伝わる
ことは活字も手書き文字も同じはずなのですが、
手書き文字には、文意を伝える前に何かもっと違ったもの
文意以上のものが伝わってくる気がしますね。
いい意味でも悪い意味でも。
そうでないと、DNAの記憶も成り立ちませんしね。
そらへい
こんにちは
パソコンでいろいろなことが便利になりましたが、
反面、今まではなかったパソコンの設定から操作、
ソフトの導入から操作などを覚えるという
新たな作業が加わわりました。
そういう意味では、一方的にパソコンがイージーともいえない気がします。
むしろ手書きなら、ペンと紙さえあればよかったのに
パソコンはなんと多くのものを必要としていることでしょう。
そらへい
こんにちは
私も数年前から日記は万年筆で書くようにしているのですが
万年筆は筆とも鉛筆とも違って、これはこれで難しいですね。
そらへい
こんにちは
私もワープロの出現からパソコンに至るまで
ずいぶんお世話になった口で、今もそうなのですが
達筆な文字を見ると、敵わないなぁと思いますね。
確かに筆は無謀でしたね。
宛名や自分の署名だけなんとかなればと思ったのですが、
若い頃から親しんでおられる方の足下にも及びません。
そらへい
こんにちは
顔や性格を受け継いでいるのですから、当然
文字が似ると言うこともありえますよね。
私は筆ペン習字をすることによって、先天的には右下がりを
右上がりに直そうとしているのだと思ってます。
そらへい
こんにちは
たいへーさんには少し生々しい内容になってしまったかもしれませんね。
親は、身をもってそういう姿を私たち子供に見せることによって
何かを語っていたのかもしれませんね。
このごろ、ふっとそんなことを思います。
プリウス
私の家内も、お父さんと喋り方が似て来た!・・と言っていました。
・・でも、”字が似て来た”と言うのは、耳にしないです、、。不思議な事ですね。
しばちゃん2cv
子供たちは、ヨメサンの字によく似てます。
そらへい
こんばんは
声とか格好とか、真似をしているわけでもないのに
歳とともに似てくるのは、やはり血のせいでしょうね。
一方、文字というのは、ふつうにしている場合
遺伝するはずはないと思うのですが、
やはり他の人より接する機会が多かったり、
印象が強烈であったりして、引きつけられてしまうのだと思います。
父の文字はいわゆる悪筆というもので
できたら似たくはないのですが・・・
そらへい
こんばんは
私も父に似たくはないし、現在では似ているつもりはなかったのですが
妻から見ると、それでも似て見えるんですね。
お子さんの文字が奥さんに似ているのは、それだけ接する機会が多くて
影響受けやすいからでしょうね。
夏炉冬扇
いい文章で鐘。心がある。お父様お喜びです。
私の文字は父には似てません。父は達筆でした私は悪筆で。
で、右下がりなんですよ。
そらへい
こんばんは
ありがとうございます。
父には迷惑だけいっぱいかけて、
ろくに親孝行もできないうちに亡くなってしまいました。
ペン習字の練習をするとき、意識的に右上がり気味に書くのですが
文字によって、どうしてもそうならないことがあります。
右下がりのDNA、相当深く食い込んでいる気がします。
ken
わかりやすい字といわれることが多いです。
昨年少し思うところあって写経をやってみました、結構むずかしいですね
、うちの嫁は若いころから書道をやって一応は先生といわれるところ
までいってるのですが、そのせいか娘二人は書道が得意で
毎回賞をもらってます。
本を読んで、気がついたところをノートに書くようにしています。
でないと、毎日ほとんどPCばかりで書くことがないですね。
かずのこ
そらへい
こんにちは
上手い下手はともかく、わかりやすい字、読みやすい字を書くことは大事ですね。文字は重要なコミュニケーションツールですからね。
相手への思いやりが出ると思います。
私も習字のテキストに飽きて、般若心経のテキストを買ってみました。
けっこう好きな字なのですが、仏教の文字というか当用漢字にはない漢字が出てきたりして、戸惑いますね。
それにしても娘さん、手本が身近にあって羨ましい環境です。
書きなれたうまい字は本当に惚れ惚れさせられますね。
本を読んで気がついたところを書くと言うのもいいですね。
私も一度したことありますが、継続しなくて・・・
習字の練習以外に、もう一度もやってみるのも悪くないですね。
そらへい
こんにちは
きっと良い意味で影響受けられたのでしょうね。
私の場合は、少なくとも文字に関しては悪癖に引っ張られた感じです。
ま、それ程に親というのは、強烈な存在なんでしょうね。
FUCKINTOSH66
我が家は(実家に帰って暮らしてみると)父と弟の立ち方や仕草が似てきていてちょっとビックリしました。字も少し似てるかも。父は昔から写経が趣味で仏壇がある壁にはそれが飾ってあります。でも漢字だけがビッチリってなんか怖いです。笑。
Watmooi
手帳が並べられた写真を見て思い出しました。
中学生のあの頃の文字。
なつかしいです。
そらへい
こんばんは
筆跡性格判断、ありそうですね。
手相より根拠ありそうな気もしますが、どうでしょう。
少なくとも、左下がりより右上がりの方が、威勢がよい感じは受けますね。
字は遺伝と言うより環境でしょうか。
どうしても親の字って見ることが多いし
子供の頃は影響受けやすい気がします。
お父上、写経が趣味とはすごいですね。
それでは字の方もかなり達筆なんでしょうね。
私はやりかけて途中で放ってあるので、また引っ張り出そうかと思ってます。空でかけるようになる日が来るといいのですが・・・
そらへい
こんばんは
父は几帳面というか、まめでしたね。
古い手帳の写真、年代を感じさせるでしょう。
これも実は父の手帳で、1960年代後半から70年頃
私が父に難問を突きつけていた頃です。
中学の頃、手紙魔でしたね。
あのころの文字は、担任の影響を受けようとしていたような・・・
U3
そらへい
こんばんは
顔だけでなく、表情や仕草まで
似せようと思わなくても似てくるところがなんとも
親子ですね。
tromboneimai
就職して北海道に配属になり家を出たのを最後に、亡くなってしまったので
会えず仕舞いだった父親です。 年を取るほど父親の気持ちがわかって
くる今日この頃です。
ホレスシルバー、とても懐かしいです。
1981年にNYに初めって行ったときに何気なく入った
ジャズクラブ Fat Tuesdays で生演奏を聴くことができました。
お客があまりいなくて、演奏後話しかけて、お店のメニューにサインまで
してもらったんですよ^^
そらへい
こんばんは
お久しぶりです。
父の古い手帳、今でも間があればつい読んでしまいそうです。
今更父の行動や思いを知ることになります。
そして、年を取ってくると親が言っていたことの意味が
ようやくわかってくるなんてことになりますね。
NYのジャズクラブでホレスシルバーの生演奏を聞くだけでもすごいのに
話しかけて、サインまでもらうなんて、すごい体験ですね。
うらやましい限りです。